8. 自然災害に遭遇するという危機
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1. 災害と人間
1-1. 災害とは何か
災害因が発生したところに、人間たちが社会を築いていて、その災害因が人間社会に人的・物的被害を生じさせてしまうほどに大きかった時にのみ、災害は生じる 人間社会が災害因に負けない程度に強かったり、災害を未然に防げるほどの英知を持っていれば、災害因はあっても災害は生じないことになる
隕石の落下で恐竜が絶滅した
この現象は「災害」とは呼ばれない
人あるいは人々のコミュニティが何らかの被害を受けなければ、災害とは言わない
隕石が直系3cm程度の小石で、その威力が何物をも破壊しない程度
災害因果存在するとはいえ、これも災害とはいわない
1-2. 自然災害
大地震や台風など、人智の及ばない自然の力が、人類に災害をもたらすという場合は少ないが、一方人類が自然破壊を繰り返し、その結果が自然災害となって跳ね返ってくるという側面も無視できない
人間が自然に対して加え続けた様々な変更が集積された結果が、土砂崩れ、洪水などの反作用として、我々に新たな災害をもたらしていると考えられる
道路の舗装は、土の保水力が期待できないために、少しの雨でも周囲が水浸しになってしまう
森林破壊が土砂崩れ、洪水をもたらす危険性は繰り返し指摘されている
2. 被災後の心的特性
災害心理学は、大災害に見舞われた人々が、その災害から立ち直っていくまでの心的過程に、いくつかの特徴を見出している 発生直後は、何が起こったのか理解できずに呆然とする
その後、驚愕状態に陥る
この時点でやっと人は、緊急対応モードに切り替わる
この状態にあるとき人は、恐怖や不安などはあまり感じずに、体だけが極度の緊張状態を呈して、いわゆる「火事場の馬鹿力」を発揮することで、この緊急事態を乗り切ろうとする 生存を優先し、感情が麻痺したような状態になっているのだと考えられる
このような緊張感は長く持続できず、やがて一種の虚脱状態が訪れる
先の緊急対応モードから、感情を伴った人間的な状態への切り替えの時に通常見られるもの
最初のショックが終わり、自分や家族がおtもかくもこの大災厄を生き延びたことを実感した時、一時的に歓びの感情が湧き上がることがある
この感動が被災者同士を結びつけ、一種の連帯感を生む
この連帯感は、被災者達の集団の中に、自然発生的な社会的ルールである非常時規範を芽生えさせる このルールの特徴は、個人の勝手な欲求を抑えて、全員平等を原則とし、皆でこの困難な状況を乗り越えようとするという点にある
阪神大震災、東日本大震災の折りには、日本人のこうした行動が世界から称賛されたが、この種の行動は日本人に限ったものではなく、緊急事態に直面した人間が、生き残りをかけて見せる、普遍的行動であると言える 支援の手が数多く差し伸べられて、お互いに協力する必要がなくなったとき、非常時規範は消え、日常の規範が復活する 非常時規範が働くのは長くてもせいぜい1, 2週間程度であると考えられている
2-1. 災害症候群
当初は緊急対応モードで活発に動いていた身体が、急速にエネルギーの枯渇状態に陥り、不活発になってしまう一方、これまで抑えられてきた心のエネルギーが一気に吹き出してくる
恐怖体験の記憶、失った家族や家財に対する喪失感、将来に対する不安などが重なって、心身の不調を訴える被災者が多数出てくる
精神的不調
「なんとなく不安」「落ち着かない」「イライラする」「悪夢を見る」「寝つきが悪い」「急に激しい驚愕反応が起こる」等 身体的不調
「頭痛」「激しい疲労感」「胃腸の不調」「心臓がおかしい」「持病の悪化」
さらには「集中力が低下した」「記憶が混乱する」「合理的に考えられない」「災害時の光景がフラッシュバックする」「社会から切り離されたような孤独感」「自分だけが生き残ったことへの罪悪感」などの訴えとして現れることもある
災害後の被災者には普通に見られることであり、決して異常なことではない
やがて日々の生活に追われる中で徐々に消えていくことが多い
2-2. PTSD
人によっては上記のような症状が何ヶ月も消えない場合や、被災後何週間もしてから突然、こうした症状が現れてきて、それが長く続いてしまうという場合がある
このような場合にはPTSDを疑う必要があるし、速やかに専門家の手に委ねられる必要がある
自然災害や戦災のような過酷な経験をしたとき、その経験はトラウマとなって、その人の心に重大な悪影響を及ぼす 特に子どもの場合などでは、その時の強い恐怖、不安、無力感などが、心の中に留まったまま癒やされることなく残り、それがその後のその人の人生にも悪影響を及ぼす場合がある PTSDの研究で有名なハーマン(1999)は、PTSDの主症状を3つに分類している 意識が過度に過敏になっている
ほんの些細な事象に対しても、驚愕反応を起こしてしまったり、いつもイライラして、夜もおちおち寝られないという状態が続く
心理的にだけでなく、生理的にも常に警戒態勢を取っているため、その人の毎日は、非常に大きなストレスを抱えていることになる
恐ろしい体験をした人の意識の中に、その体験の情景が何度も繰り返し、「侵入」してきてしまう
目覚めているときにも、目の前にその光景がありありとフラッシュバックとして再現されてしまうし、夜寝ている時には、外傷性悪夢として、何度も繰り返しその人を苦しめる 恐ろしい体験を思い出させるような、連想させるようなものやことには、できるだけ出会いたくないと思うのは人情
そのために、自分の興味関心を、できるだけ狭い範囲に制限してしまおうとするのが「狭窄」
極端な場合には、自分自身にも、自分の家族や友人たちにも関心を持たなくなったり、仕事や趣味にも興味を示さなくなり、何事にも無関心、無感動になってしまう
その経験のことを思い出さないように
こうしたPTSD症状を呈する人は、心の機能が正常に働かないというだけでなく、脳に器質的変化も生じていることが指摘されている
この萎縮は、PTSDのからの回復が進むにつれて、改善されていく
また、災害現場で強いストレスを経験するのは、被災者だけに限られない
ボランティアとして災害現場を訪れた人々の中には、心的ストレスが高まって、カウンセリングを受ける必要が生じてしまう例が数多くあることが、わかってきている
災害支援のプロである消防士、自衛官、警察官などにも、災害現場で大きな精神的ストレスを抱えている人が少なくない
彼等の場合には、救助場面でやむなく救えなかった人がでてしまうといった場面に遭遇してしまうケースも有る
こうしたストレス障害を避けるためには、定期的なカウンセリングが必要であるだけでなく、デブリーフィングと呼ばれる、指導者を中心として、仲間同士が心を開いて正直な感情を吐露し合う会合を頻繁に開き、ストレス反応を緩和する必要がある mtane0412.icon これはちょっと怪しい
CISDを受けた人たちは、本格的なトラウマ性障害を体験する傾向が強くなるという証拠がいくつかある 3. パニック神話
大勢の人が集まった場所で、突然の災害や事故が発生した場合、パニックが生じやすいと考えられている 人が自分以外の安全を無視してしまうために生じる、非合理で無秩序な行動がパニック行動であり、災害現場では、このようなパニックが頻繁に生じてしまうと、信じられている
こうしたパニック説が生まれたのは、1942年にアメリカで起こった大火災の原因究明の中から
ボストンにあるナイトクラブ、ココナッツ・グローヴで、土曜日の夜に火災が発生し、僅かな間に500人近くの人々が死亡するという悲惨な事故が起こった
このクラブは消防署の消火基準をきちんと満たしていて、防火設備に大きな問題はないと考えられたのに、このような大災害が生じたため、その理由を巡って様々な議論が巻き起こった
ほとんどの死者たちの原因は、有毒ガスによるものであったとされている
この火災の原因が本当にパニックによるものであったのかどうかについての明確な結論は得られていないにもかかわらず、この論文を契機に、パニックという言葉だけが独り歩きを初めてしまったのだと考えられる
映画などが、その惨劇の様子を事細かに描いて、人々の恐怖心を煽ったということもあろう
確かに人間にしろ動物にしろ、特定の条件下に置かれればパニックに陥ることはある
パニックが発生するには、4つの条件が揃っていることが多い
1) 自分たちの身に危険が迫っているという認識を集団が共有していて
2) しかも、その脅威から逃げ出せる方法があると、人々が信じているのだが、
3) しかし、確実に逃げ出せるという保証はないので、皆が強い不安を感じていて、さらに
4) 集団内の人々同士の間に、コミュニケーションが成立しておらず、情報が共有されていないという場合
こうした場合、人々は逃げ出すのは早いもの勝ちで、人のことなどかまっていられないので、その結果パニックに陥ってしまうことになるだろうと推測される
だが、必ずそこで一緒になった他の人々全部を、あたかも自分の敵であるかのように感じて、自分が生き残るためには相手をやっつけるしかないかのように感じてしまうのだろうか
無謀で勝ち目のない、わざわざ命を粗末にするような行動のようにも思われる
実際、災害に関する調査結果では、パニックは想像されているよりその発生件数は格段に少なく、むしろ稀であるとさえ言われており、そのパニックという現象は「神話」に過ぎないと考えられている(広瀬, 2004) ところが、このパニック神話は、別の惨事を生んでいる可能性がある
パニックを恐れるあまり、施設の責任者が避難を要する人々に対して、正確な情報を伝達せず、せっかくの避難の機会を失わせてしまい、結果として多くの死者を出してしまうという場合
災害時に生じるこうした、パニックあるいはパニック恐怖を防ぐために、我々にできることがあるとすれば、それは日頃からの訓練や心がけ
パニック恐怖のあまり、実際に生じている脅威を、人々に正確に伝えないのは、もってのほかであるが、かと言って人々に過剰な恐怖心を煽るのも、望ましくない
まずは、公共施設が収容人員に見合った十分な避難口を容易しておくことは、大前提
その上で、非常時には正確でわかりやすく避難経路や非常口の在処を人々に示す、冷静で沈着な従業員の避難誘導が欠かせない
これによって、先に示したパニック発生要件の3番目および4番目が発生してしまうのを防止できる
普段から公共施設の従業員には、十分な避難訓練をしておいてもらうことは、我々の命が救われる上で非常に大きな意味を持つこと
我々の側もまた人の多く集まる場所に出かける際には、非常口などを必ず確認しておくといったちょっとした心がけが必要
4. ボランティア活動
ボランティアが集まるようになった最初のきっかけ
日本のボランティア元年とも言われている
3ヶ月間で全国各地から述べ117万人の若者を中心とする様々な年代の男女がボランティアに参加した
参加側も受け入れ側もボランティアの初心者であったために、両者に行き違いがあったり、ボランティア同士の間にもトラブルが生じたりしたことは、確か
日本でも本格的にボランティア活動の必要性や意義が語られるようになったことも確か
阪神淡路対震災以前は、ボランティアは素人にはできないと思われてきた
しかし現場では、被災者達のための、実に様々な幼児が山積している
災害の規模が大きければ、それらの活動は、数ヶ月とか、数年に亘って継続する必要がある場合も、稀ではない
従来ははこうした救護活動がすべて、自治体職員達の手に委ねられてきた
過重な負担を強いることになることは明らか
自治体には災害発生後の時期、被災者救護以外にも災害復興計画を立てるという重要な役割がある 災害直後の時期に復興計画が行われなければ、災害復興は立ち遅れ、公共サービスもなかなか元に戻れないことになる
つまり、善意の市民によるボランティア活動は、自治体職員を救護活動に忙殺されずに、災害復興のために時間と労力を振り向ける環境を作り出す役割を果たすことがある
もちろん組織化される必要があることは当然だが、単に生活支援という以上に、被災者達の心をどれほど慰め、勇気づけることか、計り知れない
ボランティアを行う側の人々にとっても、被災者たちへの援助体験は大きな喜びや自信につながることも事実だろう